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不毛地帯

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山崎豊子作品で私が一番好きなものです。この小説を読んで、サラリーマンになりたいと思ったのを覚えています。初読は中学生か高校生の頃だったので単純に「サラリーマン」と一括りにしてしまったのですが、今思えば主人公「壱岐 正」の仕事は「単なるサラリーマン」の範疇ではなく企業家、それも結構な大企業の重役・取締役といった立場での仕事だったのだと思います。

物語の書き出しは第2次世界大戦の終わり。大本営参謀であった主人公「壱岐 正」はソ連軍の軍事裁判を受けてシベリア抑留で11年の労役に就きます。ここは物語の序盤なのですが、壱岐は裁判の準備としてソ連からの「天皇の戦争責任を認めよ」との要求に、これを拒否して、一度送られたら二度と生きて帰ることはできないと言われるシベリア行きを甘んじて呑み込みます。これだけでも壱岐の漢ぶりが分かろうというものですが、その後のシベリアで過ごした11年間に及ぶ過酷な環境での忍耐は、青年期である30代の大半を費やしたこともあり壱岐正という人の在り方を決定づけるできごとだったと思います。当時中学生かそこらだった私にとっては長く感じられた部分でしたが。

さて、主人公が日本に帰国してからが物語の本筋です。帰国後、商社の社長からの誘いを受け、ビジネスマンとしての人生を歩み始めます。軍人時代の伝手やコネを一切当てにしないという条件で入社しますが、航空自衛隊の次期戦闘機選定に事業参画するにあたって、そうもいかなくなります。正攻法だけでは自社の推す戦闘機が採用されるのは難しい状況の中、ライバル会社の不正への憤りをきっかけに、決して利用しないと誓っていた軍時代の旧友と情報をやり取りします。ライバル会社との情報戦、尻尾の掴み合いは壮絶ですが、それをリアルに描ききる筆致が著者の凄いところだと思います。シベリア編を耐えて読み進めた私にとっては待ちに待った活躍シーンでしたね。活躍するとはいえ、乗り越えるべき苦難の壁は高いのですが。でも、怯まず挑んでいく主人公の姿が格好良いのです。結果として次期戦闘機の選定には勝利しますが、秘密裏に情報を得たことで旧友を失う結果にもなり、ここで主人公は自らの在り方に大きく悩むことになります。この結果をもとに社内での立場は確立され、大きい仕事に取り組むことになりますが、仕事に打ち込む最中、妻との死別も経験し、人間としての壱岐という人、悩み、迷い、心揺れるキャラクターとしての描写に深みが加わります。ただ仕事ができるだけの英雄ではない、山崎豊子の描くキャラクターには、そんな人間味の描写が散りばめられています。

物語の後編では、商社マンとしての最後の仕事、イランでの油田開発に携わります。壱岐の動機は、資源に乏しい日本の今後のため。しかし油田開発事業の入札ではライバルの根回しがあり、日本企業との共闘はならず、「外資と手を組む」という国賊と謗られかねない選択をします。その行動の意味は、単なる通り一遍の「日本のため」「国益のため」という理由ではないのでしょう。ここに至るまで、壱岐はいろいろな仕事で手を汚してきて、都度強い葛藤がありました。それでも商社マンの仕事を続けるなかで、彼の行動には信念が感じられます。それは「戦争を繰り返してはならない」という強い意志だと思います。主人公の行動の裏には、アメリカに石油輸入を制限されたことがきっかけで開戦に走った過去の教訓に基づく、資源の確保という強い意志があるのです。戦争への忌避は山崎豊子の戦争三部作に見られるテーマでもあり、キャラクターを通して語られる作品としてのメッセージなのではないでしょうか。

そして、入札を経て実際に油田開発に段階を移すのですが、掘れども掘れども石油が出ない、ここでも苦難が降りかかります。それらに対峙する主人公の姿勢、生き方には、私自身30歳の半ばを過ぎた今でも学ぶところが多く、やはり尊敬できるキャラクターです。
また終わりかたが格好いいんです。第2の人生を過ごした会社への置き土産として、老いた社長を説得し共に退陣。引き際は潔く。この作品を読んで、ロマンスグレーへの憧れが醸成されたなと思いますね。

これも映画化、ドラマ化されているのですが、映画版は原作完結前の公開なので少し尻切れとんぼ感があります。ドラマ版は是非見て欲しい。特に、活字がそんなに好きではないという方、原作よりもドラマの方がおすすめです。ドラマは原作を結構端折っており、この分量をよく詰め込んだな、というくらい要所要所をピックアップして話を進めているのですが、構成が工夫されていて十分楽しめます。私は原作の内容を忘れた頃に見たので、その後原作を読み返すとドラマに描かれていない部分の内容の濃さに圧倒されました。
フジテレビ 不毛地帯
https://www.fujitv.co.jp/b_hp/fumouchitai/index.html

『不毛地帯』は『二つの祖国』『大地の子』と並んで、山崎豊子の戦争三部作とされる作品です。この3作は、第2次世界大戦後の時代、戦争の影が残る「今」に生きる人にフォーカスして、主人公が時代の背景に翻弄されながら生き抜いていく姿を描きます。戦争の業であったり、祖国というルーツであったり、主人公が自己の根幹に関わるものに相対し、一人の人として答えを考え続け乗り越えていく様に心打たれます。「大地の子」も好きな作品で、大戦後の中国で日本人の孤児がたくましく生きる姿を描きます。自らのルーツが中国人に憎悪される日本人だと受け入れた上で、生きる道を選ぶ。スケール感の大きさは他作品と同様に、青年の内面を丁寧に描写する筆力に圧倒されます。

山崎豊子は代表作として何をあげるべきか悩むくらい多作な方です。「白い巨塔」、「華麗なる一族」などは映画化、ドラマ化もしており、キャストが豪華だったこともあってかなりの話題作だったため、若い方もご存知なのではないでしょうか。さらに「白い巨塔」は田宮二郎、2003年に唐沢寿明、2019年に岡田准一が主役と、なんとも豪華なメンツで3回もドラマ化されています。さらにどの版も人気作です。